
「なんでオーストラリアだったの?」

何度もそう聞かれた。正直、うまく答えられなかった。
でも、あの地平線を走る自分の姿は、昔からずっと頭の中にあった。
その答えは、意外と昔から決まっていたのかもしれない。
自転車でオーストラリアを走った理由。
「オーストラリアの真ん中を、自転車で走ってきました」
そう話すと、だいたいの人が目を丸くしてこう言う。
「なんでまた、そんなところを……?」
赤土の大地に、地平線。ウルル、カタジュタ、キングスキャニオン。
一人きりで、自転車を漕ぎ、食べて、走って、登って、眠る。
毎日が過酷で、でも、これ以上ないほど幸せだった。
でも――なぜそこまでしてオーストラリアだったのか。
今回は、その理由を言葉にしてみたい。
どんなきっかけで自転車旅を始め、なぜオーストラリアを目指すようになったのか。
その背景をすべて、ここに綴ります。
自転車旅を始めたきっかけ
最初の自転車旅は、小学生のころ。
といっても、隣町までの片道5~6km。往復で10数kmほどの距離だった。
当時は親の車に乗せられて行っていたスーパーやマクドナルド。
そこへ“自分の力だけで”行けたことに、胸が震えた。たった数キロの道のりが、まるで冒険だった。
その感動が忘れられなくて、中学生になると行動範囲はさらに広がった。
大阪・梅田まで往復30km弱、京都まで往復80km。
もちろん、ロードバイクなんて持っていない。
ママチャリにまたがって、汗だくになりながら必死に漕いでいた。

そして高校2年のとき――
オーストラリア・シドニーに1週間の短期留学へ。
帰国後、ふと「シドニー以外の都市にも行ってみたい」と思い、オーストラリアを調べていたときに出会った。
“自転車でオーストラリアを一周した人のブログ”に。
400記事近いその記録を、夢中になって一晩中読み漁った。
胸の奥に、火が灯ったのを今でも覚えている。
「自分も、絶対にいつかここを走るんだ。」
それからは、すべてがオーストラリアにつながっていった。
大学受験も、進学先の選び方も。
「大学生になったら絶対行く」と決めていたから、受験勉強が辛いときもオーストラリアの景色を思い浮かべて乗り切った。
そして、第一志望の大学に合格。
夢に向けた準備が、静かに動き出していた。
海外で走るならどこ?──それでもオーストラリアを選んだ理由
海外を自転車で旅するなら、どこがいいだろう?
アメリカ、ヨーロッパ、アジア……行きたい場所は、いくつもあった。
でも、自分にとってその選択肢は、最初から一つしかなかった。
オーストラリア。
あのブログを読んで以来、心に灯った炎は消えなかった。
たしかに、アメリカの広大な国立公園や、ヨーロッパの石畳の街並みも美しい。
アジアは食も人も魅力的で、走ってみたい国もたくさんある。
けれど──自分の中で、それらは“憧れ”ではなく“選択肢”だった。
「オーストラリアを走りたい」という気持ちだけは、熱量が違った。
最初に胸を打たれた場所。
「絶対にここを走りたい」と思った最初の土地。
その衝動に素直でいたいと思った。
旅は、理屈だけでは決められない。
自分の中で一番強く光るものを選びたかった。
だから、迷いはなかった。
海外自転車旅は、オーストラリア──
それはもう、自分の中では「決まっていた未来」だった。
オーストラリアに感じた魅力と不安
オーストラリアに惹かれた理由──
言葉にするのは、案外むずかしい。
あの赤土の大地。
地平線まで続く一本道。
周囲に何もない静寂。
夜には満天の星空。
その下で眠って、朝焼けとともに目覚め、走って、食べて、生きる。
すべての営みを、アウトバックの大地の上で完結させる。
それがどんなに過酷でも、自分だけの世界がそこにある──
そう思えた。
走ること自体が目的になるような土地。
他に何もなくていいと思えるような空間。
ウルル。
カタジュタ。
スチュアートハイウェイ。
その名前だけで胸が高鳴るような場所たち。
過酷さの向こう側にこそ、得られる幸福がある──
そんな気がした。

もちろん、不安がなかったわけではない。
特に、補給や気候、治安といった面は事前に調べ尽くした。
ベストシーズンである8月を選んだことで、気温は心配していなかった。
実際には思った以上に暑い日もあったけれど、それも含めて旅。
補給は、事前のトレーニングや計画によって、ある程度自信があった。
トラブルが起きても、なんとかなる。国内旅やベトナム旅で得た手応えがあった。
治安については、アリススプリングスに滞在中こそ多少の緊張感があったが、
一歩走り出してしまえば、まわりには誰もいない。
悪いことをするために、わざわざこんな場所まで来る人なんて、まずいないだろう。
自転車は行動範囲が予測されやすいぶん、リスクもあるとは思うけれど、
それを気にして動けなくなるほど臆病にはなりたくなかった。
最終的に背中を押したのは、不安よりも、あの景色をこの目で見たいという気持ちだった。
背中を押してくれたのは、あのブログと「水曜どうでしょう」
今こうして、自転車でオーストラリアを走り切ったあとでも、
「なぜそんな旅をしようと思ったの?」と聞かれることがある。
その問いに対する自分の中での一番の答えは、
高校生の頃に読んだ、あるブログの存在だ。
──オーストラリアを自転車で一周した人のブログ。(現在閉鎖中)
シドニーから帰国後、オーストラリアの他の都市について調べていたときに偶然出会った。
400記事以上にわたって綴られたリアルな旅の記録を、
一晩で夢中になって読み切った。
読後、「これだ」と思った。
猛烈な熱が、胸の奥に灯った。
「自分も絶対、自転車でオーストラリアを走るんだ」
そう決めてからは、受験勉強のモチベーションもそこにあった。
ほかにも、自分に大きな影響を与えた人たちがいる。
たとえば、
一輪車で世界一周をし、現在カンボジアでゲストハウスを営む土屋さん(@TshSurf21)。
彼の行動力と価値観の自由さに大きな勇気をもらった。
旅系の書籍では、
石田ゆうすけさんの『行かずに死ねるか!』
坂本達さんの『やった。』も心に残っている。
旅は誰か特別な人のものじゃない。自分にもできるんだ、と思わせてくれた。
そして、なんといっても「水曜どうでしょう」。
大泉洋さんたちが車でオーストラリアを縦断したときの回。
あのスチュアートハイウェイに、自分も立ちたいと思った。
実際に走ったときの高揚感は、いまだに忘れられない。
出発前夜、もう一度その回を見返した。
心がざわざわして、興奮して、眠れなかった。
実際に行って、どうだったか?
旅を終えた今、あらためて聞かれることがある。
「で、実際どうだった?」
──その答えを、うまく言葉にするのは難しい。けれど、こう言える。
想像以上に、よかった。
たとえば、すれ違う車。
まさかこんなにも、声をかけてもらえるとは思っていなかった。

「水はあるか?」「食料は足りてるか?」
そんなふうに心配してくれる人が何人もいた。
通りすぎていくだけでなく、わざわざ減速してまで声をかけてくれる。
なかにはクッキーやドライフルーツをくれる人もいた。
「自転車でここを走ってるのか!?すげえな!」と驚いてくれた。
きっと、自分だったら逆の立場で、そんなふうにできるだろうか──そう思わせてくれる優しさだった。
人だけじゃない。自然も、想像以上だった。
車も人もまったく通らず、2時間近くまったく誰にも出会わない区間があった。
そのときふと思った。
──この辺りには、今、自分しかいない。
文字通り、「世界にひとり」。その孤独が、むしろ心地よかった。
動物の姿は、思ったより見かけなかった。
特にカンガルー。生きてるやつは見られず、見たのはロードキルばかり。
コアラもおそらくこの辺にはいない(ノーザンテリトリーには分布していないのかもしれない)。
景色も、走り始めたときは「憧れの道だ!」と興奮したが、
何時間も走ると単調さに飽きてしまう部分もあった。
「ここ、さっきも通らなかったっけ?」と錯覚するぐらい似た風景が続く。
でも、飽きたからといって、楽しくないわけではない。
矛盾してるようだけど、本当にそうだった。
どこを切り取っても「オーストラリア」だったし、どこを見ても美しかった。
夢にまで見た道に、自分のタイヤ跡を刻めたこと。
あの日々があったからこそ、今も自分のなかに確かな誇りがある。
まとめ|あなたなら、どこを旅してみたいですか?
たとえば、
どこまでも続く地平線。
夕暮れに染まる赤土の大地。
満天の星空のもとで眠り、朝焼けとともに走り出す。
そんな非日常の景色の中で、
衣食住すべてを自分の力でまかなって旅をする。
「しんどそう」「怖そう」──そう思うかもしれない。
でも、そんな不安も、ひとつひとつ乗り越えていった先に、
言葉にできない喜びがあった。
そして何より思ったのは、
自転車旅って、自由だ。
行きたいところに行って、止まりたいときに止まって、
食べたいときに食べて、寝たいときに寝る。
世界は広くて、でも、そのど真ん中に「自分」がいる感覚がある。
今回の旅は、8年越しの夢だった。
「いつかオーストラリアを走ってみたい」──
そう思ったあの日の気持ちは、ずっと消えなかった。
あなたにも、そんな「いつか」があるなら。
ぜひ一歩、踏み出してみてほしい。
あなたなら、どこを旅してみたいですか?
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